72左から笈田夫妻、繁田夫妻(1994年10月)秋合宿で訪れた山中湖・ほりのや(1997年) た1980年代から社会問題化してきたいじめ問題は、それ以降、長期化、深刻化していた。1993(平成5)年には、山形県の中学校で男子が同級生、上級生のいじめの末にマットに巻かれ死亡するというマット窒息死事件が起き、学校現場におけるいじめの深刻さが明らかになった時期でもある。ボランティア「心のケア」とカリキュラム変更1995(平成7)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は戦後初の大都市直下型地震で、関連死を含め6,400名以上の命が奪われた。TCS生はボランティアとして援助活動に参加した。被災者の心のケアの重要性が訴えられるようになり、この年は「心のケア元年」といわれた。兵庫では「兵庫県心のケアセンター」が誕生。その後、東日本大震災や熊本地震でも同様のセンターが設立されている。学習システムとカリキュラムの改訂では、講師の声を1年間かけて収集・精査した上で、基礎科を創設して4年制へ踏み切った。背景としては、それまでの3年制のカリキュラムでは「カウンセラーの養成には程遠い現状があった」(50年史での高瀬義幸の記述)という認識もあったからである。80年代以降、体験学習にSTと BEGが混在してきたこと、社会でのカウンセリングの実践を目指す者も多くなったことなどにより3年次にCRP(カウンセリング・ロールプレイ)検討のカリキュラムを導入したりしていたが、さらにそれを整理、再構築したわけである。1996(平成8)年、松原達哉がTCKの会長に就任。この年まで続いた研修部門の松井紀和の講演会「心理臨床の基礎」は、翌1997(平成9)年に『精神科医 松井紀和が語るカウンセリングを学ぶ人のための心理療法の基礎と実際』(東京カウンセリング研究この年、創設当初よりTCK、TCSの経営を担ってきた事務局長兼理事長代理の河野清が高齢による体調不良により1994年度の終了をもって退任。後任として、笈田育子が事務局長に就く。新任事務局長が第一の仕事として取り組んだのは赤字からの脱却であった。その施策としては、まずカリキュラムの改訂、新事業として臨床心理士スクールカウンセラー事業をスタートさせることなど。伊藤幸子、長侶宣子、羽山孝子、野村喜三枝らのスタッフとともに、時代のニーズに合わせた魅力ある企画運営に取り組んだ。現場の担い手を養成する研究室制を導入
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