70の逝去が続く。1987(昭和62)2月4日にロジャーズが逝去。1973(昭和48)年から1984(昭和59)年までスクールの理論講座講師として活躍した飯塚銀次は翌1988(昭和63)年に逝去した。一方、1986(昭和61)年は日本カウンセリング学会が認定カウンセラー制の認定事業を開始した年でもあり。翌年には日本臨床心理士資格認定協会が発足し、臨床心理士認定がスタート。協会が実施する試験に合格し、認定を受けることで“心理専門職”の証となるなど、各種資格制度の整備が進み、カウンセリングの重要性についての社会的認識が一層進んだ時代でもある。このような中で、TCSの学習は、初期から体験学習とそれに必要な理論学習で構成されてきた。しかし1980年代以降は、体験学習にSTとBEG(ベーシック・エンカウンター・グループ)が混在してきており、社会でのカウンセリングの実践を目指すものも多くなった。そのため、3年時にCRP(カウンセリング・ロールプレイ)を導入することとした。ちなみに1970年代末期から1980年代にかけて、中学校では校内暴力の嵐が吹き荒れていた。1984(昭和59)年には大阪府で、高校生が自身をいじめる学級委員に復讐して殺害する事件が。1991(平成3)年にも大阪府で中学3年の養護学級少女をいじめて殺してしまう事件が起きた。ただし、スクールカウンセラーの導入は1995年まで待つことになる。研修部門を設置し多彩な講演を企画1990(平成2)年、広く一般に向けた講演会や研修会を開催する部門として、TCK内に研修部門を設置した。中でも、松井紀和の講演会「事例研究」「事例研究会」は好評で、翌年からは講演会「心理臨床の基礎」と「事例研究会」として継続された。1991(平成3)年にはアメリカの心理学者アンドレ・オー博士が来日、特別講演「援助と治療」が開催された。この時期、研修部門では広く一般の人たちをも惹きつける講演会を企画し、多くの参加者を集めた。機関誌「スクール」は1991(平成3)年に「南青山通信」へと題字を変更。編集者は、高瀬義幸(当時、講師)、有賀朋子(OBで当時教育相談所勤務)、吉川さゆり(OB、旧姓船越)、印刷は大橋忠(OB、静岡在住)が務めた。この年は電通社員が過労により自殺した電通事件が発生。「過労自殺、過労死」という言葉が世間に広まるようになった時期でもある。1992(平成4)年、特別講演「人生 光と陰」を開催する。講師は近藤クリニック院長で『迷いのち晴れ』の著者・近藤章久。1994(平成6)年のTCS30周年記念講演会では「不透明の今をどう生きるか」と題し前述の近藤と、TCK顧問で『陰は光に』の著者・大須賀発蔵の対談が行われた。司会は今村泰洋。これらの講演会は主に研修部門が企画し、スクール生ばかりでなく広く一般にもアピールし、TCK、TCSの存在感を示した。世の中はバブル崩壊で不況が深刻化し、企業のリストラに拍車がかかっていた。ま30周年記念講演 「不透明の今をどう生きるか」1992(平成4)~2001(平成13)年カリキュラム改定からNPO CESC設立へ
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