CESC 60周年記念誌「Jump to the furure!」
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6770年代前半は企業に対しても研修への勧誘等を積極的にアプローチしていた。写真は当時の河野事務局長が作成した300社にも上る企業リスト。開館したばかりの頃の南青山会館(1974年6月)。75年以降、TCSの「通いのエンカウンターグループ」で利用され、その後も公開講座等、各種イベントの会場として利用された。 回のグループ学習+3泊4日合宿が組まれていた。また、週1回・3時間・年25回+3泊4日合宿、6カ月の短期養成コースも設けた特別研修や、定期・継続学習ができにくい人を対象とした年3回・計9泊12日の合宿研修コースも設置。それぞれの目的に合わせた学習コースを設けることで受講者のニーズに応えようとした。カリキュラムは3年制(3年で修了)が採用された。この年の6月にオープンした南青山会館は、昭和50年代に入って、毎年夏に行われた「通いのエンカウンターグループ」の会場として使用され、その後、公開講座等の会場としても利用されてきた。企業向けセミナーや個人向け「心の相談室」1976(昭和51)年には、企業や団体向けの委託研修が盛んに行われた。当時は、のちに悪評も流れる「自己啓発セミナー」が流行していた。元々はアメリカのNTL(ナショナル・トレーニング・ラボラトリーズ)などで始まった企業の中間管理職などに対するSTを中心とした人間性開発研修であった。TCSも企業への働きかけを盛んに行っていたようで、50年史編纂に関わった高瀬義幸によれば、この時期「自己啓発セミナー」等の影響を受けていた可能性もあると指摘している。1979(昭和54)年、「心の相談室」がスタートした。それまでの「相談室」は企業の人事担当者対象だったが、広く一般に開かれた相談室の開設により、悩みを抱えている人がどんな問題でも気楽に話し、成長の場として活用して欲しいという願いがあったとされる。当時、本科学習はグループ体験学習を中心に行われており、相談室の関係者が集まった中でロールプレイも実施された。そのことで、本科学生の研修の場としての役割も果たしたのである。その後、「心の相談室」は、相談件数が増えて安定した時期もあったが、担当カウンセラーの人員不足、常勤カウンセラーの不在等もあり、次第に相談件数が伸び悩み、十分に機能しない期間が長く続いた。相談室の機能を十分に果たし、不動のかたちになるには、1990(平成2)年のTCK研究会の新たな組織化まで待たねばならなかったと、50年史編纂メンバーの用田宗人は記している。

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