66高級ブランド店の集積地となるのは、1970年代以降であった。 翌1968(昭和43)年には、TCSにてカウンセラー養成課程を開設。現在カウンセリング心理士(旧認定カウンセラー)の認定業務を行う日本カウンセリング学会も設立された。さらに翌1969(昭和44)年には、TCSは全日本カウンセリング関係団体連絡協議会加盟団体となり、組織の社会的認知も高まった。また資格取得希望者多数となったため、新たに認定コースも設置。商工会議所が中小企業への教育に力を入れた時期でもあり、中小企業向けの各種ゼミナールや人材養成の特訓グループなども設けて、スクールは活気に満ちていた。1971(昭和46)年、紙面を通してスクール参加者の交流の場を広げようと『東京カウンセリング・スクール』を発刊した。発刊の経緯を伺うものとして「同じスクールで学びながら、グループ以外の人とは殆どかかわりがない状態が何となく勿体ない様な気がして居りましたところ、スクールの新聞を作ってはという声があり、交流の場にという願いをも合わせてとりかかってみました。(村瀬・内山)」と「あとがき」にある。高度経済成長期の1960年代は、人々のライフスタイルも大きく変化した。東京郊外で団地の建設が進められ、核家族が増えていた時代。1964(昭和39)年は東京オリンピックが開催され、日本の復興が世界に印象づけられた。スクールが活気に満ちていた1968~69年は国民総生産がアメリカに次ぐ世界第2位となり、高度経済成長によって国民の生活様式や意識にも変化をもたらした。暮らしは豊かになったものの、それに伴う社会のさまざまな問題が人に与える新たな影響も顕在化してきた頃である。共働きの家庭が増えて「鍵っ子」が増加。高校・大学への進学率が上昇したことから「受験戦争」という言葉が使われたのもこの頃だった。新コース開設などで経営難を乗り切る沖縄返還、日中国交正常化に伴うパンダの来日、冬季オリンピック札幌大会開催などのニュースがあった1972(昭和47)年、TCKは創立10周年を迎えた。その翌年、1973(昭和48)年には第一次石油危機(オイルショック)が発生、日本国内では急激なインフレが生じるとともに高度経済成長の終焉が語られた。TCSのカリキュラムはその初期から、体験学習とそれに必要な理論学習で構成されているが、最も初期にはST(感受性訓練、Tグループともいわれた)による体験学習が主体であった。再構築の成果として1974(昭和49)年には、全日本カウンセリング協議会のカリキュラムに準拠した内容で本科3カ年コースをスタートした。コースには年36この頃、TCKにも危機が生じていた。TCS校長の高橋が健康上の事由で退任。経済環境の急変もあってか、TCKの経営も難しい状態となっていた。ある日の理事会でのこと。席上、経営困難に直面していた理事長の横山は「もう、やめましょう」と発言した。しかし当時事務面を取り仕切っていた河野清をはじめとする役員数名が「やめるのはいつでもできます。もう一度頑張りましょう」と発言。定款等の見直し、会則の作成などを行い、スクール活動の再構築に取り組んだ。1972(昭和47)~1981(昭和56)年経営難、人材不足の困難を乗り越えて
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