CESC 60周年記念誌「Jump to the furure!」
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64は、夫も子供も思うにまかせず、どうしたらいいかと悩んでいた。そこへ『黙って、よく観ていれば治りますよ』というお話。自分を振り返ってみれば『しゃべりすぎていた』という気づき。また、社会の人間関係は大体が上下関係で、その教条主義に対する抵抗感もあった。そんなところへカウンセリングのノンディレクティブ学習の面白さ、人間の心の奥深くから出てくる様々な動きの気づきや、思わぬ出会いに惹かれた」と語っている※。※ 昭和50年代から60年代にかけてTCKの理事、TCSの講師を務めた藤井陽江が1986(昭和61)年に高橋にインタビューした際の記録から。当時の表参道は現在に比べてはるかに人通りも少なく、欧米風のゆったりとした街並みのエリア。若者の文化の発信地となり表参道に教室を持ちスクールも活気こうしてスタートした学習会は「生活学校」担当者の支援もあって1967(昭和42)年に定款等も整備し、横山を理事長とする「東京カウンセリング研究会(TCK)」に名称を変更し、青山・表参道に教室を移した。同時に研究会の目的を遂行する中心事業としてスクールの経営を実施。高橋和子が校長となって「東京カウンセリング・スクール(以下TCS)」をスタートした。自主的な学習会がスタート東京都の人口が1000万人を突破し世界初の「1000万都市」になった1962(昭和37)年、横山カウンセリング研究会がスタートした。CESCの前身TCS誕生のきっかけとなる研究会だ。メンバーは、文京区の社会福祉協議会がボランティア養成を目的に「女性の意識向上・ボランティアの精神を学ぶ」というテーマで開催した「生活学校」の講座のうち、横山定雄(武蔵大学教授、教育学博士)の講座に参加した者たち。この「生活学校」の主催は東京都で、週1回、6カ月間開催。「カウンセリング」「ヒューマンリレーション」という当時としては新しく知的な内容と響きを持つ講座やノンディレクティブ学習などを学ぶ講座であった。横山カウンセリング研究会はその受講生の一人、高橋和子がさらに学びを深めたいと横山に相談し、仲間7名とともに、生活学校での講座が終了後も定期的な勉強を進めるための自主的な学習会として発足させたのである。当時を振り返って高橋は「38歳だった私1962(昭和37)~1971(昭和46)年ボランティア養成講座から誕生CESC60年の歩み自主的なカウンセリング NPO法人へ

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