CESC 60周年記念誌「Jump to the furure!」
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31理事を務めさせていただきつつ10年。不登校生徒と保護者の相談を行いました。 転機3:その後、国と東京都の新事業のSC配置事業に参加し、CESC相談室長も務めました。 転機4:ある日のこと、私が担当していたベーシック・エンカウンターグループに参加していた男性から、「勤務先の専門学校に、カウンセリング・システムを構築したいので、力を貸してもらえませんか。」とのお話。この出会いがきっかけで専門ど東京カウンセリングスクールがNPOになり名称をCESCに変更することになった後、私は日本を離れた。そして心理の仕事からも遠ざかり、思いがけず長引いた16年に及ぶ海外生活を経て帰国。さあこれからどう生きて行こう、私はまた心理の仕事に復帰したいのだろうか? そもそも復帰できるのだろうか?……しばらくぼう然としていた私の心の中に湧き上がってきたのが、CESCに会いに行こう!という思いだった。場所は神保町に変わっていたが、電話にでた笈田さんの声は昔と変わらなかった。繁田先生を始め、何人ものなつかしい方々に再びいナンゾヤ?という不可解な気持ちになったりした。私も相当に人づき合いの苦手だった人間。そんなわけで、日が経つうちに、これは彼女のためではなく、自分のための学習だと悟るに至り、以後延々と4年で修了するところを6年通い、高瀬研究室でも学び、年をとって「50代からのEG」。職業が編集者だったこともあってライティング療法を学んで「自分らしさを知るライティング・グループ」を作ったりして、CESCとは切れない暮らしを続けてきた。 その後、茨城県の取手に住み、少し前まではボ学校へのカウンセラー導入のお手伝いを始め、なんと20年以上の月日が流れていました。あっという間のようにも感じる私のカウンセラー人生は、CESCとともにあったことが、今振り返って実感ひとしおなのです。お会いすることができた。 カウンセリングの仕事には絶え間ない研鑽が必須だと思う。そこには当然専門性が求められるが、と同時に人としての温かさ、包容力、理解力、相手へのリスペクトなどなどがなくてはクライエントを支えることはできない。CESCがずっと中心に掲げてきたパーソンセンタード・アプローチ、その温かさが私の心の中にずっと燈っていたことを今はとてもありがたく大事に思う。これからもこの灯を守っていくことの一助になれたらと思う。ランティアで、お年寄りの話し相手をしたりしていたが、今は私が老人ホームに入居していて、長く学んだカウンセリングを人のために生かすことはできていない。 けれど、今年誕生日が来ると90歳になる私が、元気で、なんとなく穏やかに生きていけているのはTCSでカウンセリング(人間関係)を学んだおかげと実感しているこの頃である。 ありがとうTCS、そしてCESC。

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