CESC 60周年記念誌「Jump to the furure!」
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25村里心理療法研究所宮カウンセリングルーム 村里 忠之  CESCの笈田さんが、60年続けてきた「カウンセリング教育サポートセンター」のカリキュラムを再編して新たに「PCCプラクティスコース」を立ち上げられるという。 実は僕もその一部に参加する者であるが、もしかしたら雲散霧消したかに思われかねないパーソンセンタードなカウンセリングの実践は、激しく移り変わるこの社会の制度や思想の流れの中で古くなってしまったというより、むしろいっそうこれからの人間や社会の需要に応えうる可能性を秘めているのではないか。例えばオープンダイアログの運動に示されるように、現代の合理的・実証的姿勢(物的対象化という点でこれはもはや時代遅れ!)に欠如する、真に実践科学的で統合的な人間理解とその問題への取り組みに有効な基礎でありうるのではないか。広大な認知科学は様々な実践分野の房を無数に束ねながらその方向へと移行しつつあるように思われる。 キーワードは「身体知」である。「経験」は身体的であるから、その知も身体的でなければならないし、現象学もその方向を徹底させねばならない。古く道元の「仏道」も「自己を習う」通路は身体知的把握である。ジェンドリンのフォーカシングもフェルトセンスという身体知に依るのである。ヴァレラの「身体化するこころ」もその一例であるだろう。 物の合理性は確かな方法ではあるが、生命的現象はそれではついに捉えきれない。こころは主観であるが、非合理ではない。超合理であり、それが自然である。「腑に落ちる」という表現を持つ私たちの伝統は「身体知」に貫かれている。 PCCはこの地でもう一度花咲く可能性を持つように思われるのである。それはカウンセリングに特化しても優れた結果に繋がりうるし、それを超えた個人や社会集団としてのより良い実践にも繋がりうるのである。それをCESCのような小さな場所であっても、実例として示すことはできるのではないか。そのささやかな始まりを祝し、エールを送りたい。CESCの新しい活動について

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