18元・千葉商科大学学生相談室カウンセラー上嶋 洋一 CESC創立60周年、おめでとうございます。CESCにとって様々な逆風が吹き荒れる中、CESCの灯りが消えなくてよかったと、ホッとする思いで、今この「創立60周年」の文章を書いております。理事の皆様、事務局の皆様、有難うございました。 私にとってCESCでの講座を担当させて頂いたここ数年は、感無量と言ってもいいくらいの時間でした。筑波大学で毎日のように顔を合わせ一緒に学んだ末武康弘さん、諸富祥彦さんと共に、連続講座の講師をさせてもらえるという機会を頂いたからです。こんな日が来るとは思ってもみませんでした。 私が在籍していた頃の筑波大学は(そしてそれは恐らく今も)行動理論中心の大学・大学院でした。そんな中で、孤独に(しかし「大事なものがここにある」という確信を持って)ロジャーズさんを読み、ジェンドリンさんを読んでいた私にとって、末武さん、諸富さんお二人は良き聴き手であり、心の支えでした。初めて「同志を得た」のです。 時が過ぎ、再びこうして集い、お二人の最先端の今に触れさせて頂く機会を得ました。お二人の言葉や動きからは、とてつもない努力の積み重ねを感じ、清々しい嬉しさが湧いてきます。大変なことはいっぱいあったでしょうけれど、頑張ってこられましたね。 最後に、そんな今の私の気持ちには味わい深く響く『論語』の有名なくだりを引用してお祝いの言葉と致します。子曰く、学びて時に之を習う、またよろこばしからずや。朋とも、遠方より来る有り、また楽しからずや。人知らずして愠いきどおらず、また君子ならずや。『論語』「学がく而じ第一の一」「学問を志し、その学んだところを機会あるごとに復習し、練習していくと、学んだところが真の知識として我が身に体得されてくる。これはまた何と愉快なことであろうか。そしてまた、このようにして修養を積むと、自然に、共鳴者または同志の者ができて、遠い所からでも、慕って訪ねて来るようになるだろう。これはまた、何と楽しいことではないか。(このように、自己の学習と、友との切磋琢磨によって磨かれる学問は真の徳操となる。この境地に至れば)たとえ世人が自分の学徳を認めてくれなくても、これを怨うらまず、咎とがめず、平然として世に処することができるだろう。ここまで進み得た人であれば、これこそ真に修養のできた君子というべきではないか」 『中掌 論語の講義』諸橋轍次 大修館書店 1953年、1~2ページ CESC創立60周年をお祝いして
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