12NPO法人カウンセリング教育サポートセンター理 事 頼住 孝子 TCSとの出会いは児童養護施設で仕事をしていたときのこと。園長からTCSで勉強したらと言われて、青山のスクールを尋ねました。昭和52、3年だったでしょうか。もう少し後かな……。 とにかく、グループ(ベーシック・エンカウンター・グループ)に入ったのですが、その当時は横山先生の大学などの大学生が沢山グループに参加していて「おばちゃんとはあわないよ」と言われつつ居座り続けていました。結構私も頑固でしたね。5月の三泊四日の春合宿に参加して、寝食をともにして、ここで若者と仲良くなれたんです。宿泊合宿は大変だけれど貴重なものでした。 ある時、河野事務局長から「留守番しないかね?」と声を掛けられて事務局を手伝い始めたんです。河野事務局長はお金にはきっちりした人でした。この頃も収支は厳しくて、現金が手元にないとき手紙を出さなければいけなくなったのです。私が立て替えて切手を買ったらひどく怒られました。その勢いにびっくりしてちょっと心外でした。でも、この金銭にきっちりしていた事務局長の姿勢がTCSを守って、何とか続けてこられたものと思います。頑固な人でしたが心根は優しい方でした。とても懐かしく思い出します。 何年か学んで、グループの助手としてかかわるようになりました。宿泊合宿のときは、事務局として合宿所の一室に控えていて、グループを外からサポートしました。この事務局兼保健室というシステムが、グループの安全を確保するうえで重要であることがよくわかりました。グループに入れないと言って、傷ついたと言って、帰りたいと言って、そっと訪ねてくるメンバーの話をじっくり聴いていると、皆、気を取り直してグループに戻って行くんですね。先生方も訪ねてきてあれこれ話をしていかれました。ファシリテーターをしていると悩むことが多々あるのです。事務局では守秘義務が大切でした。 話を聴くとはどんなことだろうかとの疑問をもっていたんです。グル-プを体験して、事柄を聴くのではないと言うことが、まずわかりました。私が聴いていて「変だなー」と思うことも、その方にとっては、それが大切なことなんですね。だから「それは、あなたにとって大切なことなんだね」と受け取り理解していきました。私は自分の価値観などを外して聴くことは、割とできていたのではないかと思っています。 昨年の春に相談員も退職しました。思い返すと、CESCに関わってきたことが私を活かしてくれたのだと、この年になってしみじみ思います。CESC60周年に寄せて
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